値切り

 中国四川省の地震で被害は拡大するばかり。中国は役人の汚職天国であるから、建築業者の手抜き工事等があったのかもしれない。ところが、今日テレビを見ていたら日本の学校の校舎も耐震強化されていない校舎が40%だったか、相当数あるとのこと。

 今日、18日付け朝日新聞一面に『議定書 産業界と密約』の記事。内容は「日本政府として京都議定書は批准するが、国内排出量取引制度を始めとする強制的措置は産業界に課さない―。02年の議定書批准の際、経済産業省と経団連(現・日本経団連)との間で確認した。外部には公にされず、文書にも残されていない。」めちゃくちゃな日本政府の態度であるが、その中でさらに「日本の長期目標を定める首相の方針についても、経団連や経産省の幹部は平成を装う。「数十年先のウソならばれないし、そのとき関係者はもう生きていない」」

 正に今の社会はこの「数十年先のウソならばれない」と同じ精神。社会保険庁も数十年先のことだから年金事務なんかどうでも良いと考えていたのだろうが、実際に数十年経ってみて実態が暴かれることに。耐震偽装にしても巨大地震は数百年から数十年、下手すると数千年に一度程度しか来ないのだから、その建築物が実際に巨大地震に遭う確立は極めて低いだろう。だから現実のコストに引きずられて偽装をやる。公共工事の手抜きもしかり。公務員の誇りも、技術者の誇りも、経営者の誇りも何も無い。現在のみ良ければ、それで良いという投げやり、自己中心主義の生き方

 そういえば、国、地方公共団体の借金、約1000兆円にしてもそう。現在の現役世代が良ければ、それで良いという、借金先送りの思想。子や孫に負担を押し付けて、それで良いのか?後期高齢者医療が問題視されているが、問題点を整理する必要がある。世代別の貯蓄額を見ると貧乏な若者世代裕福な高齢者という傾向がある。裕福な高齢者からは、どんどん医療費を取ればよい。それを貧乏な高齢者からも取ろうとするから問題になる。何で裕福な高齢者を貧乏な若者が支える必要がある。支出と受けるサービスで考えると現在の若者は完全な赤字。高齢者は完全な黒字。若者世代にどこまでたかれば気が済むのか!

 娘がこの前まで歯科衛生士を目指すと言っていた。家から通える専門学校なら大してお金も掛からないからいいか、と思っていたら、昨日は栄養士になると言い出した。福岡県内の家から通えそうな大学は私立しかない。下宿はとてもじゃないがお金がもたない。私が大学時代は、3畳一間の学生用アパートだった。当然、風呂もトイレもない。今の学生にこんな生活をしろといっても無理だろう。とりあえず、候補の大学2校に資料請求するように言っておいた。自分は決して貧乏な方ではないと思うが、それでもこのレベルである。子供を私立大学で下宿させるほどの力は無い。子供にも「家は貧乏だから金は無い」と言う。ただ、あまり貧乏と思われて、卑屈になられても困るので、「世間並みには金は有るかもしれないが、決して裕福ではない」と言っている。失業でもしたら直ちに下層民に転落である。『下層民』この言葉、本の題名に含まれていたような。この言葉を差別用語だと言う人間がいたら、あなたは建前人間であり、現実を直視していない。年収200万円以下の自立できない若者が巷に溢れているのである。これは政府の規制緩和と歩調を合わせて増加しているのである。若者だけではない。長年、職人として生活してきた老人がこれも規制緩和、大規模小売店舗の影響で食えなくなっているのである。

 一時期、『国民総中流』と言われた時代があった。現在では富裕層と下層民に別れてしまった。小学校か、中学校で既に「俺、どうせ高校に(経済的理由で)進学できないから」と勉学を諦めている同級生がいた。40年前の話である。今でも一緒である。私の娘に下宿をして私大に行く自由はない。

 車のタイヤのスリップサインが出た。そろそろ交換の時期。車は今年で13年目。後4年位乗ろうかと考えている。ガソリンスタンドに灯油を買出しに行ったついでにタイヤがどの程度するのか値段を見ていたら、店員が寄ってきた。車に合うタイヤで値段を確認すると名詞に全部で\59,220と書いてくれた。今日は山へ行きたかったのだが、疲れが溜まっているので山行は中止して、家の雑用を済ませておくことに。タイヤの交換も済ませておこうと近所のイエローハットに行った。タイヤ4本交換の値段を確認してもらったら約\60,000オーバー。「そりゃないだろう。そこのガソリンスタンドでこの値段だよ。」と名詞の値段を見せる。結局、\58,500で決着。もう少し粘れば、まだ安くなったかもしれないが、まあいいか。それにしても2004年12月の前回交換時の値段が\46,648なのでめちゃくちゃ値上がりしている。

 この『貧乏』と言うのは、私のトラウマかもしれない。私の家系は物事に真正面からぶつかる。生ていく要領が下手。貧乏を真正面から感じた。代々、親子関係が悪い。小さい頃から貧乏で良い思い出がない。どこかで子孫へのこの伝達を絶たなければならないと思う。多分、一生、この貧乏と私は立ち向かっていくのだろう。

(2008年5月18日 記)

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